カフェ・ノワゼットを飲みながら

「……いやぁ、女は怖い」

コーヒーを淹れながら呟く私の後ろでアーネストはソファに座り、黙りこくってなにか思案しているようだった。両手を組んで人差し指、中指、薬指とそれぞれ左右交互にくるくる回して遊んでいる。

「お前、よくあんな恐ろしい女に近づけたな」

あの後、喫煙室での話は切り上げ、モラン氏とアンジェリカを残して、私たちは自室に戻ってきていた。
ひとりで喋り続ける私に対し、アーネストはなおも黙っている。

「遺産目的で子どもを生む手段に出られるくらいなら、いっそ男はひと思いに殺された方がマシなんじゃないかとも思ったよ……自分の人生も狂いそうだし、愛が微塵もない結婚をした男は果たして幸せなんだろうか?……第一そんなの生まれてくる子どもがかわいそうだ」

カップに淹れたコーヒーに少し牛乳を垂らしたカフェ・ノワゼットを、アーネストに手渡す。

「それにしても第二の殺人テロ予告なんて、さらに大変なことになってきたな。
密航してお前に拾われたのはいいものの……死体は見つけるわ、ダイナマイトは見つけるわ……思いもよらないこと起こりすぎ!
プランセールには一体いつ着けるんだろう?……というか無事着けるんだろうか?」

「……うん……熱っ!」

どうやらアーネストは猫舌のようだ。飲もうとして一旦口につけたコーヒーカップをパッと離して、フーッと冷ました。

「しかも今度は、あの怒りっぽいアダムス男爵の警護だなんて……気が進まないなぁ」

私は思わぬところで露見したアーネストの弱点を横目で見ながら、彼の向かいのソファに座り、肩を落として、同じくカフェ・ノワゼットに口をつけた。我ながらうまい。

「オレたちに勤まるのかな?……怪我するのとか無理なんだけど」

「……うん」

口内を軽く火傷したのが堪《こた》えたのか、アーネストは未だカップに口をつけずにいる。

「アダムス男爵は本当に狙われるんだろうか?」

私の問いにまたアーネストが「うん」と不明瞭に答え、続けた。

「それは……実際起きてみないと分からないが、『第二の殺人』のことを予測したいなら、『第一の殺人』をまずは考える必要があるかもしれない」

「アーサー・アダムスのこと?」

アーネストが首を縦に振る。

「今日得た情報でいくと、アーサーが死ぬ間際に残した『イヴの秘密』という言葉は、アダムス男爵の前の奥さん、つまり、アーサーの母親であるイヴさんの秘密のことかもしれないって話だったよね?召し使いのサラの話だと神経衰弱で亡くなったっていう……」

アーネストはコーヒーを啜《すす》りながら、私の話に頷いた。
ちょうどいい温度になったらしい。今度は特に熱そうではない。私は、アーネストがコーヒーを一口飲むのを眺めながら続けた。特に不味そうな表情は見せないから、口には合っているようだ。

「マテュー・モランが、アダムス男爵がイヴさんを殺したかもしれないって説もあるとか言ってたのが気になったんだけど……」

アーネストがコーヒーを飲むのを中断して私の話に補足した。

「うん。それは分からないとは言っていたけれど、結婚前に男爵とは別に、好きな男がいたらしいとも言ってたね」

アダムス男爵と結婚させるために、愛する男と無理矢理別れさせられたイヴという女性を、私は想像の中で、食堂の絵画に描かれたイヴの姿で思い描いた。結婚前はエデンの園で暮らすイヴの如く幸せそうに微笑んでいた美女が、アダムス男爵との結婚後は痩せ細り、その茶色がかった金色の長い髪を涙で濡らすのだ。きっと顔色は絵画のように健康的ではなく、青白くなっていることだろう……。
イヴさんが愛した男性は、『ロミオとジュリエット』のように、イヴさんの家族が敵対する一族の息子だったのだろうか?それとも、クレアとクレイグのように身分違いの恋だったのだろうか?
いずれにせよ、アダムス男爵は無理矢理自分の妻を娶《めと》り不幸にしたのと同じように、今度は自分の娘を無理矢理嫁がせ不幸にするのかと思うと、二世代に渡り同じことを繰り返す業の深さを感じる。
そして、ここまで考えたところで、閃《ひらめ》いた。

「……ああ、そうか!結婚前に別に好きな男がいたイヴさんを、アダムス男爵が嫉妬に狂って殺害!……とはいかないまでも、苦しめて神経衰弱に陥らせてしまったとかかな?
……そして今、その男がテロリストとなって、イヴさんを死に至らしめた男爵への復讐をしているとか!?」

「さぁ……そこまでは分からないが」

アーネストは私の力説にちょっと首を傾げながら、コーヒーに再び一口飲んで言った。
淡々と事実を追うだけの、ロマンスの「ロ」の字も通じない男だ。

「いずれにせよ重要なのは……アーサーの母親イヴには秘密がある。そして、アーサーは『つまり、イヴの秘密は……』と言い残して死んだ。もしも、この二つが関連しているのならば、イヴの秘密に関連しているであろう、アダムス男爵《《も》》狙われる可能性がある」

「アダムス男爵《《も》》っていうのはどういうこと?」

「ドウヨの復讐の論理だけで行くとアダムス夫人《《も》》狙われる可能性はある。彼女は『確かに私はイヴからあの人を奪ったけれど』云々と言っていたから、イヴさんを傷つけた心当たりはあるのかもしれない」

「なるほどね。じゃあ、夫人にも警備がいたほうがいいのかね?」

「ただ、犯人が男爵の遺産目的である場合は、夫人を殺害するメリットはあまりない」

アーネストが冷淡に答えた。私は自説を悉《ことごと》く否定された気持ちになって、勢い返事も淡白になる。

「……あー、そうか」

アーネストは、話に興味を失いつつある私のことは気にせず続けた。

「可能性で考えると、次に殺されるのはアダムス男爵である可能性は高いが、結局のところ誰が狙われるのかは分からないし、無差別殺人になるのかもしれない。
警備は多くいるに越したことはないだろうが、未来の犠牲者予測をしているとキリがないからな……すでに起こった殺人の犯人を推理するほうが建設的かもね」

「遺産目的説を取る場合、犯人は……マテュー・モランだろうか?」

私はモラン氏が大きな頭を揺らしながら柔和に微笑む眼の奥が、決して笑っていない風なのを思い出していた。表情に乏しいアーネストとはまた違う種類の、何を考えているのか分からない油断のならない男だ。常に優しい笑顔を絶やさず、その時の話題に同調してくるが、決して本心は見せなさそうな感じを与えるところが、余計に性質《たち》が悪い。

「遺産目的説を取るならば犯人はマテューが有力だろうが、結婚することがまだ確定ではない《《今》》、《《この船内で》》殺人を犯すメリットが彼にあるのか……私がマテューの立場ならとりあえず確実に結婚してから殺害を計画するな」

アーネストならやりかねないね……と思いながら、私はコーヒーを一口飲んで、そんな思いはおくびにも出さず、次の質問を投げ掛けた。

「じゃあ、復讐説を取るならば、復讐者は誰だろう?他の乗客のなかにテロリストがいるということは考えられないんだろうか?」

「それはありうるけれど……それを考える前にもうひとつ気になる点について話してもいいかな?ビニスティ氏に届いた二通の脅迫文の脈絡のなさだ」

アーネストから「話してもいいかな?」というポジティブな気遣いの言葉が出るとは思わなかった。余程気になるのだろう。私は「もちろん」と答えながら、一枚目と二枚目の脅迫文の文面を思い起こした。

――ダイナマイトを仕掛けた。爆破されたくなかったら船の運行を停めろ

――身代金100万フランを用意し海に投げ入れろ。さもなければ第二の殺人が起こるだろう。

身代金目当てのテロ予告に、私には思われる。

「……?身代金目的で無差別テロ起こすって話じゃないの?」

アーネストがコーヒーカップを持ったまま、ソファの背凭《せもた》れに深く腰かけるように座り直した。

「いや。それじゃ、犯人はなぜ身代金を一枚目の時に要求して来なかったのか?身代金が目的ならば一枚目で書けばいい。一枚目で船を停める理由が分からない。自分の逃げ道すら断って海上に《《船という密室》》を作り出す意図は?」

言われてみれば確かにそうだ。
犯人は自分が逃げられないというリスクを犯してまで、なぜ船を停めているのだろう?

「……うーん?分からないな。アーネストはどう思ってる?」

「船を停めさせた目的は二つ考えられると思っている。ひとつは時間稼ぎ。もうひとつはトリックとか、犯罪を犯す手段として必要だった場合。
ただ今回の場合は被害者は単純にナイフで刺されただけだ。殺人トリックの手段として船を停めたと言うよりは時間稼ぎが目的だろうと思う。
そして、単なる時間稼ぎならば、爆破テロは起こすつもりは初めからなかったんじゃないか?
犯人はバトゥーからプランセールに着くまでに、是非とも爆破テロではない《《何かをする》》必要があった」

「犯人が《《何かすべきこと》》……それはつまり……」

「殺人だ」

アーネストが手に持っていたコーヒーカップを皿《ソーサー》の上にカチャリと置いた。カップの中にはコーヒーがほとんどなくなっていた。

「一枚目の脅迫の時点では、犯人は『殺人』の『さ』の字も使っていないのが、二枚目では『第二の殺人』とまで書いてきている。推測だが、おそらく一枚目の脅迫文を書いた時点では、殺人を隠蔽するつもりでいたんじゃないかと思う。……ただ第一の犯行の際、想定外の事態が起きた」

「……想定外の事態?」

私には皆目検討がつかない。
アーネストは暫《しばら》く無言のまま、話すのに勿体ぶるものだから、私は少し苛立った。あまりに回答に時間がかかるので、我慢ができずに再び問い質《ただ》す。

「想定外の事態ってなんだよ!?」

「お前が密航していたことだ」

「……あ」

――なるほど!

ここまでは正直、うまく頭も回らず、よくは分からないままぼんやりとアーネストの話を半分聞き流していた私も、この説にはピンときた。頭の中が、この一点については頗《すこぶ》る明瞭になる。
コンテナの外から聞こえた「誰かいるのか?」という微かな声は犯人の驚きの声だったのに違いない。

「深夜の倉庫には誰もいないと思って、アーサーを誘い出し殺害したものの……倉庫のコンテナの中にお前がいた。犯人は咄嗟に、最後にカモフラージュに使おうとしていたダイナマイトを置いて、テロリストがいるかのように見せかけ、その場を立ち去らざるを得なかったんだろう」

「なるほど、なるほど」

私は自分が暗いコンテナのなかで経験した謎がすらすら解き明かされるのに合点がいって、感心して大きく頷いた。

「第1の爆破テロ予告は見せかけで、アーサー・アダムス《《ら》》の殺害のための時間稼ぎのためだった。
つまり、『爆破テロリスト』というのは見せかけで、目的は初めからアーサー・アダムス《《ら》》の殺害だったと考えられる。
そして今朝二通目の脅迫文が届いた。ここで初めて『殺人』を行うことが示唆されている……」

「じゃあ、身代金を払ったところで『第二の殺人』は必ず起こるんだろうか?」

「うん。犯人の目的がテロではなく『殺人』そのものにあるとするならば、そうだと思う。犯人がこうしてアクションを起こしてきたところを見ると、かなり焦っているんだろう。『第一の殺人』からもう三日も経っているし。ただ……」

「ただ?」

「そうなると、今朝受け取った二通目の脅迫文の真意を考える必要がある。必要のない身代金を要求してまで、なぜ警備を強化させる必要があるのか……?」

「……」

もはや私の思考、いや、思考する前段階の理解の域を越えている。私は黙るより他なかった。この疑問の答えについてはアーネストもどうやら測りかねているようだ。

「……早ければ今夜にでもなにか進展があるかもしれない」

アーネストがこう呟いた時、私たちは自然に時計に目をやった。時計の針は18時を15分ほど過ぎたところだった。東向きなのであろうこの船室の窓に入る陽光は少し陰っており、部屋は心なしか薄暗い。

「そろそろ出掛ける準備をしないといけないな」

私たちはソファから立ち上がり、今夜のアダムス男爵との夕食会に備えた。

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