密航したら死体を見つけた

東は漢土から西は新大陸に至るまで、地球上至るところに植民地を持ち、「太陽の沈まぬ国」と呼ばれているイェゴス帝国本国はコンティネンス大陸北西に位置する小さな島国である。

イェゴス南部の港町、バドゥーはその「白い岸壁」で有名だ。所々に燧石《フリント》の黒点が混ざるこの白亜の岸壁は、イェゴスを訪れる者が最初に見るイェゴスの景色であり、また、去る者が最後に見る景色でもある。高さ150メートルの岸壁の上には、これまた白い灯台が、訪れる者を迎え入れ、また去る者を見送るように、のんびりと立っていた。

この港町から我が祖国プランセールまでは海峡を挟み、わずか50キロメートル。それゆえに、バドゥーはイェゴスで最も忙しい港となっていた。定期船は、イェゴスとプランセールの間で、およそ100万人の乗客を乗せて行き交う。

陸には機関車が走り、空にはふわりと気球が浮かぶ。黒煙を上げた蒸気船が次々に海を渡っていくのが見える。

文明の目覚ましい発達により、陸海空と。人類が活動の範囲を飛躍的に広げているこの時代に、先立つものがなく、目と鼻の先に見えそうな祖国に帰ることもできず、私は波止場で船を眺めながら、大きくため息をついた。

「ごめんなさい!」

不意に少年が私の背中にぶつかった。膝下までの黄土色の半ズボンを履き、細かいチェック柄のハンチングを被った、顔中そばかすだらけの色の白い少年だ。ツギのあたった斜め掛けの鞄を腰に下げている。
なにかに躓《つまず》いた拍子に倒れこんだように見せかけていたが、ジャケットの内ポケットに入れていた財布を抜き取るのを、私は見逃さなかった。

「ちょっと待ちなさい」

私は彼の左腕をガシッと掴んだ。

「なんだよっ!?!?!?」

少年のまだ声変わりしていない高い声が響く。彼はまだ細い腕を上下に大きく振って私の手を振りほどこうと試みた。だが大人である私の握力には到底及ばない。

「財布は置いていきなさい。そもそもそんなに入っていないし、船にも乗れないぐらいなんだ」

私に財布を掏《す》ったことを見透かされ、少年は怯《ひる》んで身を固くする。

「財布さえ返してくれたら警察に突き出したりはしない。今財布を持ってかれたら本当に困るんだ。今夜の宿代すらない」

少年はちょっと躊躇《ためら》った顔をしながら、手に隠し持っていた財布を、案外素直におずおずと差し出した。私はそれを受け取り、少しばかりだが小銭を渡してやった。

「……ありがとう」

財布を掏ろうとしたのに失敗した上に、警察に突き出すどころか小銭をめぐまれたことが申し訳ないやら、恥ずかしいやら、幼いなりに良心の呵責というものに苛まれたのかもしれない。少年はバツが悪そうにしばらく俯いていたが、徐《おもむろ》に口を開いた。

「……アンタ、船に乗りたいのか?」

「ああ、実はプランセールに渡るためにこの街に来たんだ。お金がなくて乗れないけどね」

「オレ、船の中に潜り込める方法知ってるぜ」

少年は続けた。

「アンタに特別に教えてやろうか?」

「ぜひ!教えてくれ!」

私が、二つ返事で教えを請おうとすると、少年は右手を差し出した。

「教え賃、もらえる?」

少年が白い歯を見せ、ニカリと笑う。
私が不承不承、持っている金を追加で渡すと、少年はそれを数えて満足そうな笑みを浮かべ、着いてくるように言った。

少年は波止場から随分と離れた場所に私を案内した。だだっ広い野原がただ広がっている。貨物コンテナなどを仮置きする野積場のゲートエリア脇が草むらになっているようだ。
私の腰以上の高さまでぼうぼうと伸びた、先端のとがった柔らかな草を掻き分けていくと、野積場との境目に張られた金網に人ひとり通れるぐらいの穴が空いていた。少年はその穴を潜り抜け「こっち!こっち!」と私を誘う。私は少年に言われるがまま四つん這いになり、金網に服が引っ掛からないように気を付けながら野積場に侵入した。

私たちから見て左手50メートルほど先。野積場の脇に建てられた荷役小屋の前ではでっぷりと太った間抜けそうな荷役の男が一人、欠伸《あくび》をしながらマンガを読んでいる。明るく晴れた空の下、日向ぼっこは気持ちがいいだろう。無論私たちに気づいている様子はない。

「気づかれないうちに早くっ!こっちへ」

草むらの中の金網を抜け、野積場に置かれている一番近くの貨物コンテナの陰まで、約25メートル。少年が先陣切ってぴゅーっと走り抜け、私にも同じように走ってくるようにとでも言っているのか、右手で手招きをする。
私は草むらのなかに身を屈め、荷役小屋の方の様子を伺った。荷役夫の男がひとつ大きく伸びをして、手に持っていたマンガを膝の上に乗せた。伸びをした男は首を左右に振りちょっと周りを見渡して下を向いた。暫《しばら》くすると居眠りを始めたようだ。首でこっくりこっくりと船を漕いでいる。

――今だ!

私は少し斜め前に身を乗り出し、荷役夫の他に人がいないか、もう一度あたりを見回した。誰もいないのを見計らって、音を立てないように土踏まずに力を入れながら、一目散に少年のいる貨物コンテナ目掛けて走った。こんなに本気を出して走ったのは子供の頃以来かもしれない。股関節が少しが痛い。

貨物コンテナの裏に身を隠し、息を切らせてしゃがみこんでいる私が落ち着くのを見計らって、少年が言った。

「プランセールへ行きたいなら、イヴ・ド・パラディという大きな船が今夜寄港するらしいから、積み込む貨物に忍び込めばいい。……あのへんじゃないかな?」

少年はここからさらに50メートルほど先を指差し、親切にもイヴ・ド・ジェンヌに積み込む貨物の置き場を探して案内してくれた。

「ありがとう!恩に着るよ!」

私が言うと少年が答えた。

「オレができるのはここまでだ。こっそり乗ってれば大陸には行けると思う。見つからないように気を付けてね!」

再び来たときと同じようにして走り去っていく少年の姿を見送って、私は積み上げられた貨物コンテナの裏手を、先程指し示された辺りまで進み、手近にある木製の貨物コンテナの蓋を開けてみた。運のいいことに二、三個開けてみると、ちょうど大人の男がひとり入るぐらいのスペースのあるコンテナを見つけた。
ここに隠れていれば、取り敢えず夜のうちにはバトゥーは出立できるだろう。

――もしもプランセールに着かなかったら?

これから密航するぞというこの状況で、そんな不安は微塵も私の頭を掠《かす》めなかった。貨物に紛れて密航するという高揚感と緊張感に支配されていた私の脳内に、そんな考えが入る隙は1ミリも存在しなかったのである。

こうして私は突然降って沸いたチャンスに飛び付いて、我が祖国プランセールへと、無計画に密航することになった。

貨物は船底に入れられたのか、ドッドッドッドッと腹の底に響くようなタービンエンジンの音と振動が伝わってくる。波に揺られているのだろう。さらに左右に船が大きく横揺れする。
脚を折り畳んでやっと入れた狭苦しいコンテナ内で、私は激しく船酔いをしていた。
うず高く積まれているのだろう貨物がガタガタと崩れ落ちそうな音をたてている。
コンテナの中は、蒸し暑く、じめじめしており、真っ暗だ。暗闇のなかで両膝を抱えて踞り、込み上げてくる吐き気と戦っていると、蒸し暑いのとも相まって、汗がだらだらと吹き出してくる。じんわりとした頭痛が広がり、意識がぼんやりする。

――このまま死んでしまうんだろうか

平常時なら馬鹿げた考えでも、暗闇のなかで今が何時で、自分の乗っている船がどのあたりにいるのかも分からないまま、無闇に縦横に揺られていると不安になってくる。

祖国を目の前に金に窮して、判断を誤ったと私は激しく後悔していた。行き当たりばったりで、計画もなく少年に密航の手伝いを頼んだ自分を呪う。あの時の私は一体何を考えていたのか?……いや、むしろ何も考えていなかったから今こんなことになっているのかもしれない。
悔恨と不安でいっぱいな気でもまぎらわせようと瞳を閉じても、真っ暗なものは真っ暗で、気分転換もできない。かえって胃の内容物が喉まで逆流してくるのが感じられ、私は俯《うつむ》いて、乾いた口を「おえっ」と開けた。

こんな狭い場所に自らを押し込め、苦しい思いをしているのに、祖国の土を生きて踏みしめられないとすると、なんとも悔しい。それに第一間抜け極まりない。
サバティエに着いたら荷役夫が貨物を船から降ろし、コンテナの蓋を開けるだろう。すると中から、ゲロまみれの私の死体が出てくる。私の遺体はバカな密航者として処理され、ともすると、このコンテナがそのまま私の棺桶になって、丸ごと焼却されるかもしれない……

蒸し暑いコンテナのなかで、火葬されるときの熱さを想像をして、これよりもっとずっと熱いんだろうなと思っていた時のことである。

―――ギッシ、ギッシ、ギッシ、ギッシ

波音とエンジン音に混じって、床が軋《きし》む音が近づいていたような気がする。明らかに船に波が当たってたつ音ではない。《《何か》》が近づいてくる音だ。

「つまり、イヴの秘密というのは……」

人か?
そろそろ私も死期が近いのかもしれない。もはやいつ昇天してもおかしくないぐらい朦朧とした頭のなかで作り出した幻聴だろうか?コンテナの外から男性の声がする。私は耳を澄ませた。

―――ガタン!ドサッ!!!

大きな音がして、私の入っているコンテナが揺れ、蓋が横に少しズレたようだ。ガタリと上から音がする。

「うっ!」

突然の大きな衝撃に、私は嘔吐感を押さえきれず、たまらず呻き声を上げ、喉元まで込み上げてきたものを飲み込んだ。

「……誰か……いるのか?」

外からまた男の声が聞こえる。

――もう限界だ!!!

――限界だ!!!

外には誰かいるのかもしれないが、見つかったら見つかったときのことだ。
逆に、こんなところに人がいるだけ、まさに渡りに船かもしれない。強制労働でも、強制送還でも、船から海に投げ入れられるでも、なるようになればいい!ゲロまみれの死体となってコンテナごと火葬されるよりはマシだろう!!!

私は思いきってコンテナの蓋を自分の両手で持ち上げた。幸い上に積み荷はなく蓋はすんなりと開く。

コンテナの中で立ち上がり、蓋を箱の右側横に置こうとした時、何かが当たって蓋を下に降ろすのを阻んだ。
逆の方向に蓋をゆっくり下ろし、私は、自分の右側に何があるのかと、暗闇の中で、じっと眼を凝らした。

人だ。
黒い髪をオールバックに撫で付けた男がぐったりと倒れている。着ている服はシルクだろうか?滑らかな光沢を放つ白い寝巻きに金糸で飾りを施した、深い緑色のベルベットのガウンを羽織っている。

「ごっ、ごめんなさい。……だ、大丈夫ですか?」

蓋を上から当ててしまったことをまずは詫びたが、コンテナの側面に力なく寄りかかっている男は、無反応だ。
私は恐る恐る、入っていたコンテナから這い出て、右手で男の左肩に触れた。
近くで見ると意外に若い。口許に整然と髭を蓄えてはいるが、私と同世代か少し上ぐらいだろう。仄《ほの》かにアルコールのにおいがする。

「大丈夫ですか?」

私は男の脇に膝を着いて腰を下ろし、もう一度肩を抱き、男の耳元で大きめの声を出し、呼び掛けた。

「しっかりしろ!」

男はうんともすんとも言わず、黙したまま、眼を閉じ、ぐったりと未だ体重をコンテナに預けたままだ。

呼吸を確認する。

「……死んでる?」

ただの屍のようだ。
……いや、「ただの屍」ではないだろう。
客船の貨物に紛れて運ばれている遺体は私と同じぐらいには訳アリに違いがない。死んでいるか生きているかの違いである。

生暖かいものが私の膝をぬらぬらと濡らしていくのを感じた。
何だ?と思って下を見る。
それは男の身体の下から伝って流れてきたものだった。

――血?

私は思わず声を立ち上がって後退《あとずさ》りした。
男の身体が寄りかかっていコンテナからずり落ち、右半身を下に倒れこむ。
背中には柄の黒い大きなナイフが深々と刺さり、刃の部分が僅かに白く光を反射しているように見えた。

私は、あまりの痛ましさに遺体から眼を背けた。
視線を男の死体から横に移すと傍らに四角い黒い箱が目に入る。またまた何だと思って眼を凝らすと40センチほどの筒状のものが見える。
私はそれが何かを理解して、眼を見開いた。

――ダイナマイトだ!

幸い導火線に火はついていない。
このことを一刻も早く船員に報告して、警察を呼ばなくてはならないと、私は咄嗟に思ったが、ここで気がつく。

密航者がのこのこと自ら「密航をしていたのですが……」と警察に申し出られるものだろうか?また、もし申し出たとして、この状況を伝えたとき、殺人犯、もしくはテロリストとして疑われないか?そして、もし疑われた場合、無実を訴えたところで、密航していた者の言うことを警察は信じてくれるのだろうか?

私は通報した場合に被《こうむ》る、自分の不利益を算段し、躊躇した。

――どうしよう……

客船の船底で物言わぬ死体と向き合い、考えるが答えが定まらない。

――どうしよう……

じっくり「どうしよう」と唱えていると心も落ち着いてきたのか、自分でも驚くほど冷酷に頭が働き始めた。
何もできず、被害者には申し訳ないとも思うが、ここで躊躇し悩んでいる時点で、自分は本心としては、通報したくないのだとは気づく。目撃者がいない現状では、殺したのではいかと疑われるだろう。殺人を疑われなくても、なぜここにいたのかと問われると、回答に窮する。卑怯だと言われようとも、ここは断固として黙っているべきだ。

それでは通報もせずに、このまま死体と二人きり、顔を合わせてまんじりともせず夜を明かすのは得策なのかと考え始めた。この状況を誰かに見られたら、やはり殺人犯かテロリストだと疑われ、違うことを証明するために、密航を企てたことを告白しなければならなくなってしまうだろう。

――とりあえず今はここから逃げよう

そう思うに至った私は暗闇で慣れた目と勘だけを頼りに、ふらふらと宛もなく駆け出した。

――とにかく上の階に昇る階段を見つけなきゃ

自分が次にするべきことが分かる程度に頭の中の整理をし、心を落ち着かせてほっとしたのも束の間。頭の中を支配していた焦りと過度の緊張から解き放たれるや、先程まで感じていた耐え難い吐き気と頭痛がまた襲ってくる。目眩《めまい》で足元がおぼつかないのと、容赦なくこみ上げてくる酸っぱい胃酸、そして、ズキンズキンと脈打つように頭を刺激する激しい頭痛と戦いながら、私は貨物や壁を伝って、倉庫内を歩き回り、ようよう階段を見つけ出した。

カツンカツンと踵を踏み鳴らし、高い音をたてていることも気にせず、急いで掛け上がると、甲板後部に出たようだ。

その時の私には自分がどこにいるのかすら判別できなかったが、目の前に広がる大海原を眼にするや、海にできるだけ近い場所まで一目散に駆け寄り、盛大に嘔吐した。

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