第2の犯行計画

我ながら珍しくパッチリと目を覚ました。こんなにスムーズに瞼が開くことはまずない。余程ぐっすり眠ったのか、頭がスッキリとして爽快だ。
目覚めて初めて目にしたのは、私を上から見下ろすアーネストの顔だった。丸顔にいつも通りの虚ろに灰色がかった碧い瞳と、低くも高くもない鼻、ぽってりと厚い小さめの唇、やや受け気味の耳がくっついている。そしてアーネストと反対側にフィデール刑事の端正な真面目を絵にかいたような白い顔とフラビエール船長の眉筋と鼻筋がくっきりと通ったハンサムな顔が並んでいる。
確か私はシャトー・ディケムを飲みながら酔ってしまってテーブルの前で居眠りをしていたはずなのだが、どうしたことか?いつの間にやらベッドまで運ばれて眠っていたようだ。鼻先にかかる白いリネンから石鹸のよい香りが漂う。

「おはよう」

私を見詰めるアーネストの第一声はこれだった。薄い上唇と厚めの下唇がもごもごと動く。
私は事態が飲み込めないまま「おはよう」と返しながら身を起こそうとした。急に起きようとしたからか、ちょっと立ち眩《くら》みがして、もう一度床に戻る。
窓の外を見ると夜はまだ明けていないらしく暗い。今何時かと問うと、アーネストがズボンのポケットに入っていた懐中時計を見て「まだ朝の3時だ」と答えた。
深夜3時にこんな明るい部屋でみんな一同に介して何をしているのか?

隣のベッドにはクレイグが上半身の服を脱ぎ、裸で座っていた。彼の隣に座っている白衣の男は船医だろうか。髪を七三に分けた四角い顔の小男が、黒縁眼鏡が鼻までずり落ちているのも気にせず、クレイグに左上腕に包帯を巻きつけている。包帯からは赤い血が少し滲《にじ》んでいた。

「クレイグ、その怪我どうしたんだ!?」

尋ねる私にクレイグが気づいて

「ああ、コーヌさん、目が覚めたんですね!よかった!!!」

と自分の怪我をよそに私に気遣いの声を掛けてくれた。

「君が寝ている間、こっちは大変だったんだ」

クレイグと私の話にフラビエール船長が横から割って入る。そんな船長の話にアーネストがさらに横から水を指した。

「……いや、大変だったのはクレイグです。クレイグがいなかったら、怪我していたのは私かもしれない」

「本当ですよ!バートラムさん……クレイグが怪我したのは貴方が無茶したからでしょう。犯人に気付いていたんなら、気付いた時点で私たちに相談してくれればよかったのに!」

さらに横からフィデール刑事がアーネストに小言を言っているが、何があったのか、私は未だ飲み込めないでいた。朝の3時から元気なものだ。

「……一体何があったんです?」

私は再び上半身をゆっくりと起こした。今度は立ちくらみもせず上手くいった。
のろのろと部屋を見渡すと、制服を着た船員と警官、背広を着ているのは刑事だろう。あわただしく人が出入りしている。この部屋がおそらく、合同で船内に作られているという捜査本部の一室なのだろう。

私から見て奥のソファ手前には、デュムーリエ警部が座っている。

「ああ、目覚めたか」

デュムーリエ警部がずんぐりとした身体をゆっくりと私の方に向けた。
警部の前には顰《しか》めっ面の背の高い痩せた警官が縄を持って座っていた。斜向《はすむ》かいにはビニスティ氏が腰掛けているのが見える。
この部屋の一番奥まったところに座っているビニスティ氏は顔面を蒼白とさせ、ガックリと肩を落としてはいたが、険しい顔でソファの前のローテーブルに視線を落としていた。髪は乱れてパラパラと所々前髪が落ちている。上着はすでに脱いでおり、タイを外して、シャツのボタンを2つほど開けていた。手元は見えないように黒い布が巻かれている。

「コーヌさんが睡眠薬入りの貴腐ワインを飲んで眠っている間に、ビニスティ氏がナイフでアダムス男爵を刺し殺そうとしたんですよ。
そこにバートラムさんとクレイグが駆けつけ、ビニスティ氏からナイフを奪って殺害は阻止してくれました。
クレイグはナイフを奪う際に、ビニスティ氏と揉み合いになり、軽い切り傷を負いましたが、お陰で殺人事件は未遂で終わりましたし、お陰でビニスティ氏を現行犯として逮捕できたんです」

「ビニスティさんが?……犯人?」

フラビエール刑事が少し興奮気味に説明をしてくれたが、この説明だけでは、私は未だ事態が飲み込めないでいた。
ビニスティ氏の手元に巻かれた黒い布は、その手に掛けられた手錠を隠すものなのだろうか?よくよく見るとソファに座っている背の高い警官の持っている縄は隣のビニスティ氏の腰に巻き付けられているようだ。

「現行犯ですか?」

「そうです。アダムス男爵殺人未遂の現行犯です」

確かに私が寝入ってしまう直前、ビニスティ氏はクレアのことでアダムス男爵を責め立てていたと記憶している。そして、その後、ビニスティ氏がアダムス男爵を襲った?何故だ?……そういえばイヴさんのことを「イヴ」と呼び捨てにしていたような気もする。ビニスティ氏はイヴさんと旧知の仲なのだろうか?
ビニスティ氏は、アーサーも殺害し、テロ予告も自分の船に対して寄越したということなのだろうか?
また、もしこれを実行したのだとして動機は?どうやらイヴさんのことを知っているらしいビニスティ氏が復讐したのだろうか?

質問したいことが山ほどありすぎたが、私の頭は混乱し、何から尋ねてよいのか分からない。口にする前に尋ねたいことをまずは頭の中で整理しようとしている間に、フラビエール船長がアーネストとクレイグに質問し始めた。

「バートラムさんとクレイグさんはいつからビニスティ氏が怪しいと思っていたんですか?」

アーネストとクレイグは一瞬顔を見合わせ、クレイグが答えた。

「……僕は物音とバートラムさんが人を呼ぶ声を聞いて駆け付けただけです。そしたら男爵とコーヌさんがテーブルに突っ伏しており、ビニスティ氏が抜き身のナイフを片手に、バートラムさんに斬りかかろうとしていたので、助けなければと思いました。それまで僕はビニスティ氏が犯人だとは思ってもみませんでしたよ」

クレイグの答えを聞いて、一同一斉にアーネストの顔を見る。

「私は……ビニスティ氏が初めて私の部屋に着た時。フラビエール船長やデュムーリエ警部と初めてお会いしたあの事情聴取の時から、疑わしいとは思っていました」

――またまたまたまたまた!名探偵ぶるのは止《よ》してくれ!!!

私は思った。

「……ほう。それはまた何ででしょう?」

船長が右手を顎に手をやりながら、半ば不思議そうに半ば感心したようにアーネストに尋ねる。

「そもそもですが、船長がいらっしゃるのにあの事情聴取の場に船の所有者が何故来られたのか?捜査ならば警察のみなさんにお任せすればいい。……ビニスティ氏は《《何か別のこと》》を自分の眼で確かめたかったのではないか?私の眼にはそう映っていたのです。
あの事情聴取に着いてきたいと申し出たのはビニスティ氏からではないでしょうか?」

「そうです。確か、一般人の方に事情聴取にご同行いただくのは警察としてはご遠慮願いたいとお伝えしたのを覚えています」

アーネストの質問にフィデール刑事が顔を上げて答えた。フィデール刑事はいつの間にやらいつもの黒革の手帳を取り出し、ペンを持ってメモを取り始めていた。

「バートラムさんは、ビニスティ氏があの事情聴取で確かめたかった《《何か別のこと》》とは一体何だと思ったんですか?」

フラビエール船長がアーネストに続きを話すように促す。

「それは『第一の殺人』の際の目撃者探しです。ビニスティ氏は、船内をくまなく回り目撃者がどこにいるのか特定した上で、その目撃者が犯人は自分だと気づいているのかを確かめたかった」

――あ……目撃者って私のこと?

「目撃者?あの事件には目撃者がいたというのか!?」

黙ってソファに座ったまま話を聞いていたデュムーリエ警部が身を乗り出して大きな声を出した。捜査の進展になりそうな新情報が入り、喜んだのもあるだろう。その声には気概に満ちたハリがある。

「正確には『目撃者』ではありません。殺人現場で音を聞いただけというのが正しいようです。彼はバトゥーの荷積み場かなにかからコンテナに忍び込み、船底で荷物と共に倉庫で揺られていた『密航者』だった。
だから殺人事件を目撃……ではありませんが、殺人事件の現場に遭遇し、遺体とダイナマイトを見つけていたにも関わらず名乗り出られなかったのです。
殺人現場を目撃されたかもしれないと思ったビニスティ氏は、その『密航者』を探し出し、そして、私の部屋で見つけた」

「……ん?つまり……?その『密航者』というのは?」

デュムーリエ警部とフィデール刑事、フラビエール船長が一斉に私の顔を見た。釣られてクレイグもこちらの方に振り向く。

「……黙っていて申し訳ございません!!!」

私は思わぬタイミングでアーネストに密航していたことを暴露され、ベッドから起きて早々平謝りに謝るしかなかった。

「私も密航者と分かりながら匿《かくま》ったことをお詫びします。申し訳ございませんでした」

アーネストも今回ばかりは珍しく自分から頭を下げる。女性のことでは憮然として謝らなかったが、理に叶ったことならば素直に従う男のようだ。

「それは謝って許されることではないが……今は別問題として。ビニスティ氏はコーヌさんが密航者だと知っていたということか?」

フラビエール船長が咳払いをひとつして、困った顔をしていたが、今ここでそれを責めるよりも、殺人事件の真相を知る方を優先させたようだ。アーネストに頭を上げるように促しながら質問を続けた。

「はい。この通り、彼は銀髪長髪、長身の男です。遠目に見ても目立つ。一度見たら覚えやすい風体をしていますから、パッと見て探すのは容易だったのだと思います」

「確かに。無駄にカッコいいから忘れられませんね」

「無駄に」は余計だが、クレイグの言うことは正しい。自分でもそう思う。私は間違いなくカッコいい。

「ドウヨを探し出したビニスティ氏は、彼が自分のことに気づいていないか?慎重に探りました。
アーサー・アダムスの関係者を集めての事情聴取の際もそうでした。ビニスティ氏はドウヨが殺人現場にいたことを白状しないか、全員の前でカマをかけた。
その後、私たちだけを食事に誘い、本当に自分のことが分からないのか確認をする念の入れようです」

「ビニスティ氏が犯人だと気付いていたんなら話してくれればよかったのに……なんで話してくれなかったんだよ?」

しょんぼりとした私は思わず不平を漏らした。自分がビニスティ氏に試されていたということ自体にももちろん腹が立つやら悲しいやらだったが、そうと気づいていて私に話してくれなかったアーネストも酷い。

「……これは私の推測であって、確証はなかったんだ」

アーネストは私の方に顔を向け、言葉を切った。彼なりに私に黙っていてすまないと思っていたのかもしれない。口調は淡々としたものだったが、語気には強さがなかった。

「……でも、その推測が当たったのでしょう?それからどうしたんですか?」

私に答えたなり黙ってしまったアーネストに、フラビエール船長が話の続きの催促をする。

「ビニスティ氏の一連の行動からなにか怪しいと思っていたところに、昨朝二通目の殺人テロ予告文が届きました」

アーネストが再び話し始めた。

「ドウヨに邪魔されたことで第一の犯行を失敗したビニスティ氏は焦っているのだと直感的に思いました。ドウヨが、自分が犯人だと気づいていないことを確認したビニスティ氏が、即座に次の手を打ってきたんでしょう」

「ふむ……その直感が当たったという訳ですか?」

「はい。ビニスティ氏は、アダムス男爵の警備に私たち二人を指名するために二通目の脅迫文を作成したのだと思います。しかも、その後、昼食を食べながらの話し合いで、男爵との関係性が悪い私を除き、今夜ドウヨとビニスティ氏が二人でアダムス男爵の警備をすることに決まったのです。
ビニスティ氏が犯人であると仮定して、私が犯人ならばこの機会を逃さないと思いました。
第一の殺人を目撃したかもしれない『密航者』に第二の殺人の罪を着せてしまえばいいのですから」

「なるほど!」と叫びながら、急にデュムーリエ警部がポンと手を打った。
「それでビニスティ氏は、コーヌさんに睡眠薬入りのワインを飲ませた訳か!」
事の次第が警部の頭の中で明確になったようだ。眼を見開き、瞳をキラキラと輝かせた。

「そうです。ドウヨが寝ている隙にアダムス男爵を殺害。その罪をドウヨに着せるつもりだったのでしょう。港に戻ってから乗客名簿を確認したふりをして、ドウヨが密航していたことを暴露するなどし、うまく情報誘導して第一の殺人の場にいたことを白状させれば、おそらくドウヨに懸けられた二つの殺人の嫌疑は晴れにくくなる。何しろ目撃者が他にいないので証明が難しいでしょう」

「それで君は部屋を出て行ったふりをして、外で待機していたということか?」

ははーんと感心の溜め息をつきながら、警部が自らの頬を撫でていた。
斜め前に座っているビニスティ氏は何を思っていたのだろうか?――黙って瞳を閉じた。

「そうです。特に今夜何も起きなければ私の思い過ごしですみますしね」

――アーネストはビニスティ氏が犯人だという自分の推理が正しいか確かめるために、私を囮《おとり》に使ったというわけか?

私はビニスティ氏に罪を着せられかけたことというよりもむしろ、アーネストの手の内でコロコロと転がされ、踊らされていたことが無性に悔しく思われて腹が立った。私を使って現行犯逮捕のための一か八《ばち》かの賭けに出たところも大胆不敵と言えばいいのだろうか。なんとも憎らしい。私としてはしてやられたと、なんだか負けた気持ちになる。

――というか、万一のことがあったらどうするつもりだったんだろか……

万一、私が怪我したり、誤って殺されたり――まあ、そこまでのことはないにせよ、アーネストが入ってくるのが一歩遅くて殺人犯に仕立て上げられてしまったら、どうするつもりだったんだろうか。
その時は、おそらく彼なりに助けてくれるつもりだったのかも知れないが、そういった懸念点ごとアーネストからバッサリと切り捨てられたような気もして、私は彼の冷酷とも言える判断力に背中がゾッとうすら寒くなるような感覚を覚えた。

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