謎解きの始まり

「ダイナマイトがあるって、なんで分かったんだ?」

デュムーリエ警部たちを部屋から送り出した後、私は扉を閉めながら、アーネストに話しかけた。

「……」

アーネストは、左手で頬杖をつき脚を組んで、ソファに深く凭《もた》れている。目を瞑《つむ》って寝ているようでもある。返事はない。

「……おい!」

質問を無視された私は空いているソファに座り、隣からアーネストの肩を強く揺さぶった。アーネストが目を開け、不機嫌そうに顔を歪めてこちらを見つめる。目付きが悪い。私が彼の表情らしい表情を見たのはこれが初めてかもしれない。

「警備の人間が急に増えたから」

ぽってりとした肉感的な唇を動かし、面倒くさそうに、アーネストが答えた。

「人間が多く警備に動員されているということは、それ相応のことが起こったということだろう。昨日までは鼠一匹どころか人間ひとり潜り込めてた。素人であるお前が密航できるぐらい手薄だったんだぜ?」

確かに私が密航を実行したとき、警備の人間はいなかった……いや、いるにはいたのかもしれないが、野積場にいた私には見当たらなかった。晴れ渡るポカポカ陽気の下、荷役夫が倉庫の前に座り込んであくびをしながらマンガを読んで、暇に明かせて居眠りをしている長閑《のどか》な風景だけが思い出される。少なくとも警備を何人も配置し、ボディチェックをするほどの厳戒体制は敷かれてはいなかったはずだ。

「警備が必要だということはつまり、物か人が狙われているということだ。
窃盗か?殺人か?誘拐か?暴行か?
いずれにせよこういった事件なら、船を停泊させ、《《事が起こる》》のを待つ必要性がない。すでに《《事が起こってしまっている》》のならば、さっさと港に到着させるべきだ。犯人は海に飛び込むか空を飛ばない限りは、船から逃げられないのだから、港に船を停めて捜査をしたほうがいいだろう」

腕が疲れたのだろう。アーネストがついていた頬杖を崩して脚を組み換えた。

「船を停泊させたのには、そうしなければならない理由があるはずだ。それでいて警備を厳重にできる時間的余裕はあるのだから、《《事はまだ起こっていない》》。予告の段階だと考える。窃盗でも殺人でも誘拐でもなく暴行でもない。どんな犯罪か?そうなると、私の貧困な想像力のうちでは考えられるのは爆破テロぐらいだ」

「……なるほど」

実際のところ彼が論理的なのか、夢想家なのかは分からない。ただ事実私はダイナマイトを目にしているので、そういった考え方があるものなのかと納得した。ダイナマイトがあったのは事実だし、アーネストが説明したことを否定して議論するつもりもない。

アーネストは納得したような私の相槌《あいづち》を聞いて、また頬杖をついて目を閉じた。

「……オレが倉庫で見た死体はアダムス氏なんだろうか」

私はそんなアーネストの眠そうな素振りを気にせず質問を続けた。
実際眠いのかもしれないが、この男は興味がないふりをしていて、実のところは五感を鋭く研ぎ澄ませ鋭敏に物事を観察し、思考を続けているのではないかと思う。ぼんやりと灰色に澱《よど》む青い瞳の奥に隠している閃光のようなものを、私は逃さず認めていた。
きっと私の話も聞いているはずだ。

「……」

「だから無視すんなよ!」

私は再びアーネストの右肩を揺さぶった。
再び目を開け、なんとも鬱陶しい嫌そうな視線をちらりと私に送る。

「……死体が船内で二個発見されてない限りはそうだろうね。そんなにいくつもいくつも死体は落ちてないと思うけど」

「なんで死体の横にダイナマイトが落ちてたんだと思う?」

「……」

アーネストがソファの上で身を丸めて、私の方に背中を向けた。相手をするのが余程面倒くさいのだろうか。
ここまであからさまに話しかけないでほしいという態度を示されて、私も私で話しかけてやる義理はない。私もしばらく口を閉じた。

私はソファの上で背筋をうんと伸ばし、部屋の中を改めて見渡した。
ベッドがある。その隣にはクローゼット。そして簡易な机と椅子。ソファとローテーブル。奥にはシャワールームがある。
室内の設備は整っているが、私物らしい私物はなく、部屋からはアーネストの人となりを伺い知ることは難しい。ローテーブルに置かれているパイプからは愛煙家なのだなということだけは分かる。
窓の外から穏やからしい波の音と、たまにギシギシと船が軋む音だけが微かに聞こえてくる。遠くに黒い点のようなものが二つ舞うように空を滑空している。鴎《かもめ》かなにかの海鳥だろう。

話題がない。
仕方ないので、話題がないことを話題にする。

「物がないね」

「うん」

会話終了。
静まり返った部屋には、人と一緒にいるにも拘らず、穏やかな波音と、時たま船の軋む音が相も変わらず聞こえるだけだ。

私は自分との会話を蔑《ないがし》ろにされたためか、ポツンと独り取り残されたような気がして、アーネストのそばからは離れたいと無性に思った。

「ベッドに横になってもいい?」

「うん」

いちおうの了承を得た私は、靴を脱いでベッドに身を投げ出した。大の字に寝転んで、白い天井を見つめる。天井をぼんやりと見つめていると掌ほどの大きさの茶色いシミがあることに気づき、そのシミがだんだんと広がっていくことを想像した。

――昨日見た死体から流れ出た血のようだ。

犬も歩けば棒に当たる。歩く足には泥がつく。密航すれば死体を見つける。ついでを言うとダイナマイトまで見つけてしまった。

昨日のことが鮮明に思い出される。
あのとき死体はまだ温かかった。
すでに呼吸はしていなかったけれども、救命措置を取っておけば生き返っていただろうか?……いや、あの出血量では無理だろうと、自ら否定する。
私は警察に見つかるまで貨物倉庫にぽつんと横たわって、冷たくなっていく屍を想像した。胸が痛む。良心の呵責というものだろうか。私は半ば懺悔《ざんげ》するような気持ちで、口を開いた。

「アーネスト……私が死体を見つけたとき、死体はまだ温かかったんだ」

アーネストは無論黙っている。遺体を放置した私を責めも許しもせず、ただそこで聞いてくれている。そのことは、今の私には有難いことだった。しばらくこの心地のよい沈黙に身を委ねた後、私はふと思い出したことを続けて話す気になって、何もない天井を見つめたまま、再び言葉を発した。

「……そういえば、死体を見つける直前、隠れていたコンテナの中で、男の声を聞いた」

「……なんて言ってた?」

私の独り言にアーネストが反応を返してきた。どうやら彼の興味を引いたらしい。

「『つまり、イヴの秘密というのは……』と言っていた。その後、大きな音が聞こえて……今から思うとあれは、アダムス氏が刺されて倒れこむ音だったのかもしれない」

アーネストは黙っている。私は構わず続けた。

「ダイナマイトはその時置かれたんだろうかか?……テロリストはアダムス氏を殺害し、船も爆破しようとしてたということか?」

「『つまり、イヴの秘密というのは……』と聞こえたんだろう?となると、アダムス氏とテロリストが殺害直前に『イヴの秘密』について会話してたという風に聞こえるが」

アーネストの淡々と話す声が返ってくる。ベッドに寝転んでいる私からは彼の表情までは見えない。

「アダムス氏とテロリストは知り合いだったんだろうか?」

「……テロリスト=殺人犯ではない可能性もある」

ちょっと考えていたのだろう。沈黙を挟んでアーネストが話し出した。

「殺人事件が起こった際、爆弾がすでにあった場合となかった場合が考えられる。
爆弾がすでにあった場合、殺人犯とテロリストは別の人物だ。この場合、アダムス氏はテロリストとは知り合いであるとは分からないが、少なくとも殺人犯と知り合いである可能性が高い。
殺人事件が起こった際には、爆弾がなかった場合、殺人犯とテロリストは同一人物である可能性が高い。その犯人はアダムス氏と知り合いである可能性も高い」

「アダムス氏がテロリストで仲間割れを起こした可能性もあるんだろうか」

「それもありうるだろうね。
もちろん、アダムス氏がテロリストが爆弾を仕掛ける場面に遭遇し殺されたとも考えられるし、アダムス氏殺害の犯人が、テロリストに犯行に偽装したとも考えられる。
後者の場合、アダムス氏殺害の犯人は、爆破テロ予告のことを知っていた可能性も出てくる。
いずれにせよ、『イヴの秘密』というのが分かれば、そのあたりも分かるかもしれない」

「……確かに」

――『イヴの秘密』
それを解き明かすことが、この事件の鍵になりそうだ。

そんな話をゆっくりしていると、再びノックの音がした。部屋に簡単な食事が運ばれてきた。そういえば小腹が空いているなと、台の上に載っているサンドイッチを見て気づく。時計を見ると、針は昼の12時を指していた。

冷たいローストチキンとコールスローサラダの挟まったサンドイッチを頬張りながら、私は先程の事情聴取のなかで気になった、事件とは違う話題について、アーネストに尋ねてみた。

「さっきバプールから乗船したと言ってたけど……出身はその辺なの?バプールってイェゴスの結構北の方でしょ?」

「いや」

「どの辺?」

「辺鄙《へんぴ》な田舎」

「……いや、だから出身どこだよ」

「秘密」

「……なんだよ、それ?辺鄙な田舎なら外国人である私には分からないんだろうから教えてくれたっていいだろう?」

「分からないなら知らなくてもいいだろう」

アーネストは自分のこととなると頑《かたく》なに語りたがらないようだ。
そもそも一等客室に乗っているのだし、フロックコートの着こなし方、食事の取り方や、今もこうして案外姿勢よくコーヒーを啜《すす》る姿を見ていると育ちは悪くはないのだろうとは思う。
私を無料《タダ》で部屋に置いてくれているようなところからも、あまり金に頓着しない性格なんだろうと思う。服だって気前よく貸してくれたし。
辺鄙な田舎出身ということは、地方の地主かなにかの息子らしいなと、私は検討をつけていた。また余計なことを喋らないのは北国の出身だからだろうと、私は勝手に心の中で決めつけた。髪の色は濃く、眼の色は灰色がかっているはいるが、金髪碧眼でもあるのだから、北国出身にふさわしい気がする。むしろ南国の陽気な太陽の日差しがこんなに似合わない男を、私は見たことがない。

自ら話す前から、すでに私の脳内では北国出身と決めつけられてしまったこの男は、自分からは一言も喋らない。私からいくら話を振っても「うん」とか「ああ」とか「いや」とかしか答えない彼に、午後数時間も経つと、うんざりし始めていた。何もしていないはずだが、私は嫌われているのだろうか?と自己嫌悪に陥りそうだ。

だから夕方ノックの音が鳴った瞬間、私の心は踊った。

―――誰か話し相手が来た!

喜び勇んで扉を開けた瞬間、そこにデュムーリエ警部に着いてきていた若手刑事のキリリとした端正な白い顔が見え、私は落胆して息を飲んだ。
フィデール刑事がそんな私の表情の急激な変化を見て怪訝な顔をする。彼のそんな表情に、慌てて笑顔を作り直して用件を聞くと、アーネストと二人で食堂に来るように、彼は私に伝令した。

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