隠された動機

「……ビニスティさまが、イヴさまの……イヴさまの想い人でしたか」

ビニスティ氏の告白を無言で聞いていたサラは、元々は細い目を大きく見開いて、普段は真一文字に結んでいる口を半開きにし、驚いた様子でビニスティ氏の顔を見詰めていた。周囲に人がいることを忘れてしまったかのように、半ば放心しているようにも見える。
ビニスティ氏も彼女の瞳に視線を定め、無言のまま大きくしっかりと頷いた。彼は、サラの瞳の中に言葉よりも何か深い訴えを認めたようでもあった。

ビニスティ氏が彼女のこれから話したいことを暗黙のうちに理解し、頷いたのを確認したかのようだ。サラは自分を黙したまま理解してくれた紳士に背を向け、徐《おもむろ》に一同を見渡した。それから誰に話すともなしに、その場にいる全員に話し始める。

「イヴさまのご両親が、イヴさまに恋人がいると知ったのは……イヴさまがご懐妊されたからでした。ご両親は結婚もしていないのに妊娠したイヴさまに激怒し、お屋敷の一室に閉じ込められたのです」

――イヴさんがアダムス男爵と結婚前に妊娠!?

突然の老婦人の告白に場が凍りついた。
その場にいた一同が唖然として口をぽかんと開き、サラの方をじっと見詰めたまま動かない。デュムーリエ警部だけが眉根に皺を寄せてちらりとビニスティ氏に一瞥《いちべつ》を向けた。私を含む全員がその時、サラが話を進めるのを固唾《かたず》を飲んで見守っていた。

――それはビニスティ氏の子供を、ということだろうか……?

「そして、アダムス男爵とのご結婚が正式に進むまでに、イヴさまは秘密裏に男の子を出産しました」

サラがぎゅっと唇を真一文字に結び、ちょっと言葉を切り俯いた。話しにくいことを口にしてちょっと疲れたのだろうか。溜め息が漏れる。息を吐ききったサラは、一、二分瞳を閉じて心を沈めていたようだった。
そのうち意を決したかのように、クレイグの方に真正面に向き直って次の言葉を発した。

「……それが、クレイグ。貴方よ」

―――イヴさんとかつての恋人………つまり、ビニスティ氏の子供がクレイグ?

全く予想だにしていない所で自分の名前を出された衝撃からか、クレイグの表情は元のまま、微動だにできないでいた。茶色い瞳が左右に少し泳いだのは暫《しばら》く時が過ぎてからの事だった。

「……え?……今、何て?」

サラの言っていることが、そのまますとんと理解し難かったのだろう。クレイグの口角の上がった形のよい唇から、再度サラの言葉を確認する声が漏れた。唇が微《かす》かに震えている。

「クレイグ。貴方のお母様はアダムス男爵の前妻であるイヴさまよ」

サラは言葉を変えて同じ事をクレイグに伝え直した。無言のまま、クレイグは困惑したような小さな溜め息をついて、頭を左右に振って身体を後ろに傾けた。

周りの人々もこの隠されていた真実に驚き、次の言葉が出てこないようだ。一様に鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。

「クレイグが、ビニスティさんの……息子さん……ですか?」

沈黙の中、私は遠慮がちに声を出しサラに再度、この重大な事実について確認した。

「そうです。クレイグはビニスティさまとイヴさまの間にできた男の子です」

サラは首を縦に振って、キッパリと同じ言葉を繰り返した。その顔は彫り付けたように真面目そのものだった。疑う余地がない。

「私《わたくし》はイヴさまがお屋敷に閉じ込められてからお仕えして参りましたので、今の今までビニスティさまがクレイグの父親だったことは存じ上げませんでした。
私も長年クレイグの父親が一体誰なのか?自分なりに探しておりましたが……こんなに大成されている立派で高名な御方だったとは思いも及びませんでした。
クレイグには、父親が見つかったときにイヴさまが母親である事は話そうと心に決めておりました」

サラはここまで話して再び言葉を切ってデュムーリエ警部に尋ねた。

「お話少し長くなりますが、お時間いただいてもよろしいでしょうか?」

「……も、もちろんです。フィデール、椅子を持ってきて差し上げなさい」

さすがのデュムーリエ警部も思いもよらなかった真実に動揺しているようだ。言葉に少し詰まる。警部に名前を呼ばれ、唖然としてたフィデール刑事も我に返って上司の指示に従い、この老婦人の元に椅子を持ってきた。
サラは「ありがとうございます」と言って、クレイグの手を借りながら、ゆっくりとその椅子に腰掛け、話を続けた。

「ビニスティさまと引き離されて以降、お屋敷の暗い部屋でひとりお休みになられていたイヴさまは、もはや自分一人では生きる気力もなく、魂の抜けた生ける屍《しかばね》のようでした。私は、イヴさまの想い人のとの間にできたお腹にいるお子さまのことだけは考えて、しっかり食べるように、運動するように、よく眠るようにと励まし、なんとかお産の日までお支え申し上げました。
しかし……その当時の旦那さま、つまりイヴさまのお父上は、イヴさまから取り上げられたばかりの父親のない赤ん坊を、産まれるや否や領地外に捨てに行くように私に命じたのです。
イヴさまは悲痛のあまり泣き叫び、今にも死んでしまわんばかりに暴れては、憔悴するの繰り返し……私はイヴさまの気が狂ってしまうのではないかと気が気ではありませんでしたし、それになによりまた、生まれたての赤ん坊をとても不憫に思いました。この子には全く罪はないのですから」

サラは椅子に座る時に借りたクレイグの手をぎゅっと握ってクレイグを見詰めた。クレイグも真剣な眼差しで、彼女を見下ろし、初めて耳にする実の母親の話に耳を傾けている。

「そんな折、以前からイヴさまに好意を寄せていたアダムス男爵から正式に結婚の申し込みが届きました。イヴさまは始めは断固拒んでおりましたが、遂には赤ん坊を私の甥として一緒に連れて行けるのならば、アダムス男爵の元に嫁ぐことを承諾すると旦那さまに仰《おっしゃ》いました。
イェゴスの貴族の方々との親戚関係を持ちたかった旦那さまはこの申し出を渋々飲んで、イヴさまと私をクレイグと共に、アダムス男爵のお家に送り出したのです」

「……イヴさんに赤ん坊が産まれた事は、ビニスティさんはご存じだったんですか?」

デュムーリエ警部の質問に、ビニスティ氏は眼をつぶってゆっくりと頷いた。

「イヴが私との間にできた子供を出産したこと、それが男の子だったこと、サラという召し使いが引き取って甥として育ててくれるということ、そして、イヴはアダムス男爵の元へと嫁ぐということ……私は、イヴから送られてくる手紙で知っていました。私とイヴは別れてからも偽名を使って手紙ではやり取りをしていたのですが、結婚したと連絡が来てからはその文通もパタリと途絶えてしまいました……アダムス男爵に遠慮したのかもしれません。途絶えた理由は私にも分かりません」

ビニスティ氏が話し出すのを聞き、サラとクレイグは身体を彼の方へと向き直していた。ビニスティ氏も二人の方に向かって腰を捻って頭を丁重に下げて言葉を続ける。動くビニスティ氏に、隣のソファに座って逃亡をさせないように見張っている警官が身構えた。

「サラには長年大変なご苦労をかけた。お礼してもしつくせない。ありがとう。息子をここまで立派に育ててくれて本当に感謝している」

ビニスティ氏はサラに礼を述べると、頭を上げて姿勢を正し、クレイグに呼び掛けた。その伸びやかな声は穏やかで力強く、父性に満ち溢れたものだった。

「……そして、クレイグ。これまで黙っていて申し訳なかった。君……お前と呼んでもいいだろうか?クレイグ。お前にも苦労をかけた。寂しい思いもさせただろう。これまで名乗り出られず本当にすまなかった」

頭を下げるビニスティ氏の言葉に、クレイグは頭をゆっくりと横に振った。ビニスティ氏が自らの父親であるということと、また、その父親が殺人犯であるということが、まだ信じられないという風でもあり、自分のことは大丈夫だから気にしなくてもいいということを言外に含むような複雑な表情をしている。その瞳には涙が浮かんでいたのかもしれない。キラキラと輝いていた。
ビニスティ氏は、半ば自分を許してくれているようなクレイグの表情を見て遠慮がちに微笑み、目を伏せた。

「……驚きや葛藤もあるだろう。しかも私は犯してはならない殺人の罪を犯してしまった。こんな私を今すぐに父親と認めてくれとは言わない」

紳士は伏せていた眼を再び真っ直ぐに我が息子に向けた。クレイグも彼の眼を正面から見据える。双方の眼は凛然とした清らかな光を宿していた。

「長年の親子の愛情与えられなかったことを補えるとは到底思ってはいないが、私の遺産……会社も、船も、土地も、もちろん金も。私がこの一生で手に入れられたものはすべてをクレイグ、お前に譲るつもりだ。
だからお前は……お前こそは、身分や経済力、周囲の目には左右されず、自分の愛する女性を手に入れ、その女性を幸せにしてほしい」

ビニスティ氏は一瞬クレアの方にやさしい眼差しを向け、再びクレイグの方を見た。
気品に満ちた愛情深い穏やかな視線だ。

「そのたった一人の女性との出会いは奇跡的なものだ。そのたった一人との出会いを大切に……イヴと私が起こしたような悲劇をお前たちには繰り返さないでもらいたい」

ビニスティ氏は以前、アーネストと私が初めて夕食を共にしたときと同じ言葉を繰り返した。人生でたった一人の運命の女性を愛し続け、そして、その女性を永遠に失い、その復讐のため殺人という大罪を犯した男の悲劇に私は胸を大きく揺さぶられた。この気持ちはきっとクレイグも同じに違いない。

「クレイグ……そしてクレアも。どうかお願いだ。二人には私の分も幸せになってもらえないだろうか」

ビニスティ氏が懇願するように首を曲げてクレイグとクレアに語りかける。その眼差しが、語気が、熱を帯びて、情熱的に聞く人の心の奥へと訴えかけていた。

「……どうか……どうか、よろしく頼む」

ビニスティ氏は頭が床につくのではないかと思うぐらい深々と頭をを下げた。

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