2019年4月1日 月曜日

カーテンを開けると東の空がオレンジ色に染まっていた。空の上の方はまだ薄紫色をしている。隣家の屋根の上から昇ろうとしている黄色い朝陽には、薄い紫色の雲が四つ連なって掛かって見えた。

林範子《はやしのりこ》は40歳を迎えた今も結婚していなかった。大学進学で地元を離れ上京したまま東京で就職。独身のまま仕事一筋の生活を送ってきた。
もちろん40歳を過ぎても結婚はできる。実際結婚した知り合いも何人かいる。ただ全体として見ると、確率は年々低くなって行くばかりだろう。いろんな人がいるのでなんとも言えないけれど、20代、30代で結婚できなかった自分が40代になって結婚できる自信はない。
結婚しない人生もある。自分はそうしてすでに40年も生きてきたのだから、それで問題ないとも思う。
ただふと思う。
今はいいけれど、50代60代になっても、東京で一人、1DKの広さの部屋に暮らし続けるのだろうか?
自分が65歳の定年を迎えるとき、親はもはや90代である。そんな歳の両親が果たして自分のことを自分でしゃきしゃきとできるのか不安である。介護を必要とせず、健康で90代まで暮らしてくれる前提でも心配だ。
親も老いれば、自分も老いる。親の面倒は自分がいつかは見ることになるのだろうけれど、そうした場合、自分の老後はどうなるのだろう?施設に入るための貯金をせねばならないし、例えば病気になった時、痴呆が始まった時のために、後見人の指名もしておいた方がよいだろう。お金は貯めておいても、使う判断をする自分がダメになってしまったら元も子もない。

一年前に祖母が亡くなった。
範子が地元役場の公務員試験を受けたのは、祖母の三回忌法要の次の日だった。一次試験だった。
「UIJターン型」と名付けられたその公務員試験の応募要項は「35歳から40歳までの男女で、これまでに県外の企業で五年以上勤務経験がある者」である。この地元役場の職員公募は、「県民の友」という公の広報紙を欠かさずチェックしていた母が見つけてきた。
試験は、一般教養、面接、小論文の三次試験まであった。学校を卒業してもはや十七年経とうとしている範子には一般教養試験に合格する自信がなかった。しかし、一般教養試験さえ通れば、合格する可能性は高いと踏んでいた。年の功で面接の経験は数多く踏んでいたし、提案書や企画書を作るのが得意だから小論文も苦ではない。

勝負は一般教養。
一ヶ月半の試験勉強をして、一次試験に合格した範子は、その後、当然であるかのようにトントン拍子に、二次、三次試験も合格し、平成31年度職員として採用されることとなった。

母は祖母が地元に帰ってくるように呼んでくれたのだと言って喜んでいる。父も無論ニコニコしている。実家で母の尻に敷かれていた父は範子が帰ってくることになって、なかなか強気に母に食って掛かるようになった。東京で独り暮らしている範子のことは傍目に見ていてみんな心配だったのだろう。親戚一同帰ってくることを喜んでくれている。

40にして惑わず。

2019年4月1日月曜日。
人生再出発の朝だ。

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