第1の犯行計画

「バートラムさん、先ほど貴方は、ビニスティ氏が『第一の犯行を失敗した』と仰いましたが、アーサーさんの殺害が目的じゃなかったんでしょうか?アーサーさんの殺害自体は達成できてますよね?……それでも失敗ですか?」

メモを取るのにペンを走らせていた手を止めて顔を上げ、フィデール刑事が第一の犯行について尋問を始めた。彼は若いにも関わらず冷静だ。デュムーリエ警部よりもしっかりとアーネストの話を聞いているように私には思える。
アーネストがフィデール刑事の方に向き直って言った。

「アーサーさんの殺害も目的だったと思いますが、恐らく目的は『第一の犯行』の時点でアダムス父子の殺害にあったのだと思います。一通目のテロ予告文を出した目的を考えると、一回目でお二人を殺害するつもりだったんじゃないかと推測しました」

「それじゃあ、君は一通目のテロ予告文もビニスティ氏の自作自演だというのかね?」

アーネストが話すのを終えるや否や、デュムーリエ警部がすぐさま確認を入れた。

「はい、そうです。これは今日の午後、ドウヨには話していたのですが、一通目と二通目の脅迫文の脈絡のなさに注目する必要があります」

デュムーリエ警部は左の眉だけ上に吊り上げて怪訝な顔をしながら、胸ポケットから二枚の紙を取り出し、胸元で開いて見比べた。
フィデール刑事とフラビエール船長が、警部の背後に回り、二通の脅迫文を覗き込んでいる。

―――ダイナマイトを仕掛けた。爆破されたくなかったら船の運行を停めろ

―――身代金100万フランを用意し海に投げ入れろ。さもなければ第2の殺人が起こるだろう。

「………脈絡がないかね?身代金目的のテロ予告に見えるが」

デュムーリエ警部は、以前私が言ったようなことを同じく呟きながら、顎に手をやり、首を斜めに捻る。アーネストがそんな警部の方を向き、右手の親指と人差し指を立てて話し始めた。

「その二通の脅迫文には引っ掛かる点が二点あります。一点目は犯行の手段、二点目は脅迫文の目的です。
一点目の犯行の手段ですが、一通目に記載されている犯行の手段は、爆破、二通目は殺人となってます。しかし、第一の犯行は結局のところ殺人でした。二通目の脅迫文は、この一回目の犯行の結果を受け、非計画的に犯人は『第二の殺人』と記載してしまったのでしょう。つまり、第二の犯行はそもそもの計画になかったと考えられます」

アーネストはここまで話して、立てていた人差し指を引っ込め、二点目について続けた。

「次に脅迫文の目的です。テロリストが実際にいて、彼の目的が100万フランの身代金ならば一通目からその事を書くはずです。テロリストが存在するのであるならば、身代金を受け取るなり、仲間の解放を要求するなり、さっさと目的を果たして、自分は逃げたいはずだ。しかし、身代金のことは二通目からしか書かれていない。一通目の脅迫文の意味がないのです。
では、一通目の意味と目的は何か?
文面そのまま受け取ると、この船の運航を停めることになります。この船を停め、海上に船という『密室』を作ることにメリットがなければなりません。
犯人は自らが逃げることの優先度を下げてでも、この船がプランセールに着くまでに《《やり遂げるべき何か》》を優先させた」

「そしてその《《やり遂げるべき何か》》が、殺人だったという訳ですね」

ハッキリと丁寧な口調で話の補足をしたフィデール刑事の言葉に、アーネストは頷いた。

「はい。おそらくビニスティ氏は一通目の脅迫文は予《あらかじ》めメッセンジャーボーイ等を金で雇い、無線電報を打つように託すなどして準備しておいたのだと思います。
一通目の脅迫文で船を停泊させている間に、バトゥーからサバティエまで乗船するアダムス父子を殺害。爆弾を残してテロリストの仕業に見せ掛けようとしたのですが、密航していたドウヨと遭遇し、その計画を中断せざるを得なかったのでしょう。
二通目の脅迫文は、一回目の犯行の失敗を受け仕方なく計画を変更。ドウヨに罪を着せようとして書かれたのです」

アーネストが推察を述べ終わり、話を切った。一呼吸置いてデュムーリエ警部が刺すような鋭さで、次の質問を投げ掛ける。

「犯行の動機は?」

「問題はそこです。ビニスティ氏がアダムス父子殺害に至る動機が私には明確に判然としなかったというのが、ビニスティ氏を疑っていたことをみなさんに黙っていた理由のひとつでした」

アーネストはおそらく、アダムス男爵の前妻『イヴの秘密』がこの事件に絡んでいるのだということまでは理解しているのだと思う。しかし、その『イヴの秘密』の真相までには手が届いておらず、論理的に動機が説明できるわけではないのだろう。
彼は動機以外で自分が推理した内容はすべて話しきってしまったらしい。彼はビニスティ氏の方に目線を遣りながら、これきり黙った。

「ビニスティさん、犯行の動機はなんだったんでしょう?」

デュムーリエ警部がビニスティ氏の方に向き直って尋ねた。
ビニスティ氏はゆっくりと顔を上げ、ギラギラとした目で警部の顔を真っ直ぐに見たが、口は一向に開こうとしなかった。

「……ビニスティさん、犯行の動機はイヴさんを奪われたことに対するの復讐だったんですか?」

暫《しばら》くの沈黙の後、私はベッドの上で上半身だけ部屋の奥の方へと身を乗り出し、静かな口調で口を挟んだ。犯行にまで及んでしまったビニスティ氏の憤懣《ふんまん》遣る方ない気持ちを考えると黙っていることができなかったのだ。

「アーサーさんが殺された時、彼は『つまり、イヴの秘密は……』という言葉を残しました。これは私の推測ですが、貴方はアーサーさんの就寝前、酒を飲んでいるところを訪れ、アーサーさんの母親であるイヴさんの話を持ち出し、船底に誘い出してナイフで殺害したのではないでしょうか?」

私はちょっと言葉を切って、上半身をビニスティ氏の方に前のめりに傾け、返事を待ったが、彼は無言のまま俯き目をつむってしまった。このまま彼は喋りそうにない。

「さらに貴方はアダムス男爵と争いになったときもイヴさんの話をしていましたね。貴方はアダムス男爵の前妻さんの名前を『イヴ』と呼び捨てにしていました。昔からイヴさんのことは知っていたのではないですか?
アダムス男爵と結婚する前、イヴさんと恋仲だったという男性は、ビニスティさん、貴方なんじゃないでしょうか?」

ビニスティ氏はピクリと眉を動かし、私の方に視線を向けた。そのつぶらな瞳には以前いきいきと話していた際のような輝きはなく、ぼんやりと虚ろだ。大きな口を真一文字に結んだまま、依然沈黙は保たれたままだ。

「イヴさんを無理矢理自分のものにしたアダムス男爵が、イヴさんと同じように再び無理矢理愛してもいない男の元へとクレアさんを嫁がせようとするのが、許せなかったのではないですか?」

ビニスティ氏は正面に向き直り、前屈みになって黒い布が掛けられた両手に額を近づけると、ブルブルと身体を震わせ、はあとひとつ大きな溜め息をついた。天を仰ぐ。
この部屋にいるすべての人間がビニスティ氏の方に注目していた。

「ビニスティさま、それは本当ですか?」

その時、鈴を鳴らしたように凛としたかわいらしい声が響いた。
声がする方を振り向くと、クレアが入り口の所に呆然と立ち尽くしていた。クレアの後ろにはサラが静かに、いつものムッツリとした厳格な顔で控えている。

「お嬢様!アダムス男爵の容態はどうですか!?」

突然のクレアの訪問に驚いたのだろう。クレイグは上半身裸のままベッドから立ち上がり、ほとんど発作的にクレアの方に駆け寄った。クレイグが急に立ち上がったので、隣に座っていた船医が驚いてベッドに尻餅をつき、後ろ向きに倒れている。

「父は意識を取り戻しました。今はお医者様と母が見てくれているから大丈夫。クレイグのことが心配でここに来たのですが……たいへん!血が滲んでいるわ!!!」

クレアが左手を口許に当てながら、心配そうにクレイグの左腕に右手を翳《かざ》した。クレイグが包帯の血の滲んだ部分をさっと隠す。

「僕は大丈夫です。今、先生に処置してもらったし、ほんのかすり傷でしたから心配しないでください」

クレイグは怪我したほうの手を握ったり開いたり、腕を曲げたり伸ばしたりを繰り返し、しっかり動くことをクレアに見せながら明るく答えた。
それを見てクレアの口許から微笑みが溢れた。真珠を並べたように白く輝く歯が見える。

「痛くはないの?……ちゃんと動くのね。……よかった!貴方がいなければ父は死んでいるところだったと思うと、何とお礼を言っていいのか分からないわ!!!ありがとう、クレイグ」

「いや、僕は呼ばれて駆けつけただけだから……お礼を言うならバートラムさんとコーヌさんに言ってください」

クレイグは顔を赤くし照れたようにはにかみながら頭を右手で掻いて、左手でクレアをアーネストと私の方へと導いた。

「ありがとうございました、バートラムさん、コーヌさん」

クレアが私たち一人ひとりの顔を丁寧に見詰めて優雅にお辞儀をする。

「それに、みなさまにも。捜査にご尽力いただきまして感謝致します」

クレアが部屋全体に見渡して言った。

一通りこの部屋にいる全員に捜査のお礼を述べたクレアが、眉を八の字に寄せ、悲しそうな表情を顔に湛《たた》えて、ビニスティ氏の方へと歩み寄ろうとしたが、隣に座っていた警官とフィデール刑事に制止された。彼女は制止されたところで立ち止まって、肩を落として両手を胸の前に添え、ソファに座っている紳士に向かって口を開いた。

「ビニスティさまが、私のために父や兄を殺害しようとしたというのは本当なのでしょうか?」

ビニスティ氏は話し掛けるクレアの方には見向きもしなかった。しなかったというよりも、できなかったと言ったほうが正しいかもしれない。
両肘を膝の上に置き、黒い布で包まれた両手に額を預け、ビニスティ氏は黙って首を横に二、三度黙って振っていた。肩が小刻みに震えている。

「……すまない」

鼻を啜《すす》る音と大きな溜め息を吐く音と共に、ビニスティ氏が謝罪する声が漏れてきた。その声は震えている。

「……すまない、クレア」

途切れ途切れに言葉を発するのが聞こえてくる。それは自分がしでかしてしまった罪への後悔の念なのか、殺害を失敗してしまったことに対する慚愧《ざんき》の念なのか、それともクレアから父と兄を奪おうとしたことに対する贖罪《しょくざい》の気持ちなのか、それともそのすべての気持ちがない交ぜになって、ビニスティ氏から声を奪ってしまったのかは、私には分からなかった。

「……許しておくれ。許しておくれ、クレア……私は……」

ビニスティ氏は黒い布の中で組んでいたのであろう両手を離し、顔を覆って暫《しばら》く震えていた。堪《こら》えていた涙が流れるのを止められなくなったのではないだろうか。声を殺して泣いているのだと、私は思った。

この部屋の中にいた誰一人、ビニスティ氏を急《せ》かして問い詰めることもなく、15分ほど経った頃、落ち着きを取り戻したのであろう、この立派な壮年の紳士が喉の奥から声を振り絞るように話し始めた。

「私はアダムスが、アダムス男爵が許せなかった……」

顔を覆っていた手を退けると、やはりその眼は真っ赤に泣き張らしているように見えた。しかし、声は落ち着きを取り戻している。

「ドウヨくんが言う通りだよ」

ビニスティ氏は首を縦に振りながら、私の方にちらりと一瞥《いちべつ》をくれた。目元にキラリと涙が光ったような気がした。

「嫌がるイヴを私から無理矢理奪ったように、クレアまでクレイグから奪おうとしているアダムス男爵を、私は許すことができなかったんだ……。だから私はサバティエの港に着くまでにアダムス父子を殺害し、クレアとマテューの婚約が正式なものになることを阻止しようとしたのだ」

束縛された両手を膝と膝の間にだらりと下ろし、観念したかのようにビニスティ氏は、目の前の誰も座っていないソファを前屈みになって眺めながら語り始めた。

「貴方はやはりイヴさんの昔の恋人だったんですね」

私が確認するかのように、再度ビニスティ氏に尋ねると、ビニスティ氏は再び頷き、ハッキリと答えた。

「そうだ。アダムス男爵と結婚する前のイヴ……イヴ・ド・ジェンヌは私のかつての恋人だった」

フィデール刑事がより詳細な質問を投げ掛けるのに対し、ビニスティ氏も丁寧に答える。

「ビニスティさん、貴方が新大陸に渡り貿易会社を興したのは確か20代半ば以降のことだったと、新聞か何かで話されていたのを記憶しています。イヴさんと恋人関係にあったというのは、それ以前の話ということでしょうか?」

「ああ、そうだ。新大陸に渡る前の私はイヴの家……ジェンヌ家の所有地で小作人をしていた。
彼女が馬で遠乗りしていた最中、野犬に襲われそうになった彼女を助けたのが縁でね、私たちの恋は始まった。身分の違う私たちは、人目を忍んで何度も逢瀬を重ねていたのだが……ある日それが彼女の両親の知るところとなり、私は土地を追われ、彼女は屋敷に軟禁され、早々にアダムス男爵との結婚の話を決めてしまった。
恋に破れ、家も失った私は失意のままプランセールを離れ、新大陸に渡ったんだ」

部屋にいるすべての人間が、身動《みじろ》ぎもせず、静かにビニスティ氏の話に耳を傾けていた。

「私は、いつかイヴに相応しい男になり、彼女を迎えに行くことを心に誓って、一生懸命働いた。働いて働いて働き続けて、数年が経ったある日だった。プランセールの社交界での噂で、アダムス男爵の奥方……つまり、イヴが神経衰弱で亡くなったことを耳にした。
イヴのために一心不乱に働くことしかしていなかった私はそれはにわかには信じ難いことだった。アダムス家の墓を訪れた。確かにイヴ・アダムスの名前が彫られた墓標を見つけたが、それでも私は信じたくなかった。
アダムス男爵がエリノアと再婚するという事実まで突きつけられ、イヴがこの世にいなくなったことを私は、認識せざるを得なくなったのだ」

 

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